人生論とポスターサイズ

人生論とポスターサイズ

Written by . Posted at 3:01 pm on 2月 13th, 2014

ポスターとタイヤのサイズ

この世のポスターのサイズについて、タイヤと比べてどうのこうのと述べるやからがいると聞いたのでその話について書こうと思う。

ともあれポスターというものは、そのサイズに関しては自由自在だ。

求められれば大きくも小さくもできる。

小さくなりすぎれば当然本来の目的である「伝達性」などにおいての懸念が生まれることは間違いないが、すくなくともその目的が達成されるような大きさであれば問題はない。

それに引き替えタイヤのサイズは基本一定である。

大きくも小さくももちろんできるが、そこには当然ながら制約が生まれる。

車体の規格の範囲内でしか装着できないことにあるからだ。

しかしこれは実はポスターにおいても同様の事が考えられる。

掲示される場所がなければ、当然ながら張り出すことができない=意味を成さないということにつながるからである。

小さくて携帯性の高いポスターも、渡されることが無ければ、人目に触れることが無ければなんら意味を成さない。

これも同様の事につながる。

人生論とポスターサイズ

これまでの経験をポスターのサイズに例えて話を進めるとするならば、なんといえばよいのだろうかと少しばかり頭をひねってみることにしたのは、別に大した理由からじゃない。

そもそも人生論をポスターのサイズに例える−−だなんて、どういう発想なのかについてもいささかの疑問と一抹の不安を禁じ得ないが、ここはひとつのテーマとして考えていこうと思う。

自由なサイズのポスター

ともあれ、人生におけるポスター的ようそとして考えるとするならば、自身をまわりにどのように表現するべきなのかというような捉え方になるだろうか。

つまりは、営業であったり応対であったり、人は人とのつながりを常に持ち続けながら生きている。

そこからどうしても、私という名前の個をどのように周りに見せることで、アプローチさせることでその後の展開をコントロールするのか?ということである。

当然ながらそのアプローチにしても、しっかりとしたサイズコントロール…強弱をはっきりとさせることで、より細かいコントロールを行うのである。